東福寺龍眠庵墓地指定石材店のオフィス石太郎です。
東福寺龍眠庵では、小さなお子さんを連れてお墓参りをしているご家族に出会います。
若者の宗教離れと耳にするようになってから、30年以上の年月が経ちますが、時代に応じてそれらの状況も変わりつつあります。
今回は「若い人はお墓に興味がない?」をテーマに書かせていただきます。
最近は、ご子息など後継者がいらっしゃるお客様が永代供養墓の見学にお越しになります。
龍眠庵の永代供養墓は、墓じまいが不要という特徴がありますので、その点をご支持いただいているのではないかと思います。
ご両親は家族に負担をかけたくない気持ちから永代供養墓の見学にお越しですが、ご子息は「うちの子は、お墓の相談をしても全く無関心なので、たぶんお参りもしない・・・」「パンフレットを見せても、好きにしたらと言うだけで・・・」とのことです。
笑いながら仰る人が多く切実な雰囲気でもないので自虐ネタなのかも知れませんが、両親が健在の場合30~40才くらいの人でしたら大半が無関心だと思われます。
違う見方をしますと、ご両親の意思を尊重しているか、信頼しているのかも知れません。
世間では「墓じまい」が取り上げられるニュースもあり、若い人の耳にも届いていると思います。
このような状況の中で、先々には自身の負担になるかも知れないのに無関心ではいられないのではないでしょうか。
ご子息とご息女を比較した場合、ご両親の供養には女性の方が比較的関心が高いように感じます。
両親がご健在の場合は、ご息女も同伴されるお客様が多いように感じます。
往々にして男性の方が面倒くさいことが苦手のように思いますので、先に述べたような無関心な返答があるのかも知れません。
ご逝去された父親のお墓を探しているお客様は、ご子息の同伴率がすごく高いように思います。
女性一人だと心細く感じるために、見学の際にはご子息に声をかけられるのだと思います。
随分前のことではありますが、逝去された奥様のご納骨法要がございました。
法要に際には、お父様とご子息はあまり目を合わせることもなく、会話も何となくバチバチな印象でした。
法要が終ってから、ご子息家族は早めに帰られました。
お墓の見学にお越しの時に「息子とは、あまり上手いこといっていない・・・私が悪いので仕方ないが、墓を建ててもおそらくアイツは来ないと思う」と仰っていたことを思い出しました。
その後は、お父様一人で時々お墓参りにお越しでした。
お父様が逝去されて、ご子息が納骨法要にお越しになりましたが、とても礼儀正しい人で以前の印象との違いに驚きました。
時々お墓に花が供えられているのを拝見しますが、毎回大きめの花が供えられていて、前を通ると気が付いてしまいます。
年に2回は決まってお参りにお越しのようです。
筆者が墓石業界にお世話になってから30年以上が経ちますが、その当時から若者の宗教離れという言葉をよく耳にしました。
最近では、このような傾向が当たり前になってきていて、お葬式の時にお世話になる業種の一つという印象を持っている人もいるように感じます。
反面、宗教離れといわれた中で、宗教に没頭し過ぎた余りにテロまで起こしてしまった若者達がいたことも事実です。
若者の宗教離れといってしまいますと、若者が悪いように解釈する傾向が強くなってしまいがちですが、悪者を決める必要は全くありません。
核家族化の中では、菩提寺との疎遠は起こるべくして起こりますので、誰も悪くないのです。
ただし、一部の寺院では、寄付を強いることから確執が生まれてお寺を離れてしまうこともありますが、宗教が悪い訳ではありません。
筆者が中学生の時に、英語の先生が大嫌いで今でも英語がチンプンカンプンですが、決して英語が悪い訳ではないからです。
今の宗教離れの原因は、宗教との「縁」の有無ですので、生活の中に活かせるのであれば障害なく受け入れられると思います。
宗教離れを例えて、お葬式の時にだけご住職とお会いする葬式仏教と揶揄される時代も過去にはありました。
最近の例としては、東福寺龍眠庵の場合では、永代供養墓の受付を起点にして、先々の継続した故人様の供養が寺院との縁に繋がっています。
ご遺族にとっては、「故人様のお供養=宗教」ですので「宗教=思いやる気持ち」と言い換えても差し支えないと思います。
秋には、永代供養墓に埋葬された方々を弔う総回向法要という行事が行われます。
永代供養墓は、少子化や核家族化によって先々が心配される方々を思いやるお墓として企画されたました。
寺院との出会いが不安の解消に役立てていただいているのではないかと実感しています。
また、ご遺族の方々は自身が元気な間には、定期的にお墓のあるお寺を訪れては、清々しい気持ちでご帰宅いただいているのではないかと感じています。
お釈迦様の伝言やお経の意味を勉強したり、悟りを開くための修業はお坊様達にお任せすれば良いと、筆者は思っています。
勉強や修行をしてきたお坊様達が、在家(一般の人)に対して思いやる気持ちを具体的に提示するのが今の時代に馴染む宗教ではないかと思われます。
お墓参りというと、年寄りの恒例行事と誤解している人がいるかも知れませんが、小さなお子さんを連れたご家族連れも多く、若者の宗教離れとは程遠いような感じます。
